不思議の庭のミランダ

心に響いた言葉と書物の備忘録

『神さまがくれたたった一つの宇宙の法則』上江洲義秀氏 

 

 

 

このブログでも

よくご紹介している

不食の弁護士さんとして知られる

秋山佳胤さんがいます。

今回は

その秋山氏が尊敬されているという

超能力者であり覚者の

上江洲義秀さんの本の一冊からの

抜粋をいくつか載せておきます。

 

神さまがくれた たった一つの宇宙の法則

神さまがくれた たった一つの宇宙の法則

 

  

幸福論Ⅲ

 現在の自分ととりまく全てに対して心の底から感謝できる人が、本当に幸福と言えるのではないでしょうか。

 巷間でよく言われるように、「ありがとうございます」という感謝の言葉は、現象として目の前で起きる全てを肯定し祝福する言葉で、幸福への道を力強く作ってくれるものです。

 ありがたいことが起きる──しかもそれは夥しい原因の結果として必然的に継続して起こるのです。ありがたいことが必ず起きるという幸福に、日々私たちは包まれて生きているのです。

 あなたは、目の前で起きている奇跡の連続である現実を、喜びを持って一つひとつ言葉にして言うことができるでしょうか。たえることなく呼吸し、手を動かし、二足を使って歩くことができ、電車という便利なものを使って移動し、空腹を感じて昼食をとることができ、友人や恋人とお酒をくみ交わし、散歩や運動、趣味を楽しむことができるのは何と幸せなことでしょうか。

 私たちは足らざることに苦しむよりも、今あることに感謝と喜びをあらわすべきではないでしょうか。

 過度な願望は現実を認めていないことであり、すでに必要なものを結果として全ていただいている自分自身を否定していることでもあるのです。

 宇宙は一命一体、自他一体の延長としての全一体として存在し、良いと思われることも悪いと思われることも全て良きこととして日々起こっています。それは原因が作り出す結果として絶妙な計算のもとに、必然的にあらわれているのです。

 現実を作り上げ、それに対して評価しているのは全てあなた自身の頭の中の作業なのです。あなたは全体の一部であり、他の喜びも悲しみもあなた自身の喜び、悲しみです。全てのものは全てのものを幸せにするために存在し、全ての人は全ての人を幸せにするために存在しているのです。   

 

仏教に“因果応報”という言葉があります。

一般的には、何か思わしくないことが起きた時に

以前の悪い行いの報いだという認識が

広くあるようです。しかし、これは

単純にそう述べているわけでなく

結果に良いも悪いもなく、

全ては自分が蒔いたというか

創り出している現象であることを

知らせています。

 

近年、自らの意識がその現実を創っているという

概念は、自己啓発やスピリチュアルな世界、

人気の引き寄せの法則などでも

広く知られてきましたが、どうしても

私たちは自分の都合のよい方に解釈しがちです。

たぶんエゴなのでしょうが、特定の物事や

結果にこだわります。

しかしながら、幸せでありたいなら、

この身勝手さは戒める必要があるようです。

 

永遠の幸福

  私たちは、全ての本質は根源に存在していることを知らなければなりません。

 この世にいる多くの人々は「結果」から得ようとし、日々求め、もがいています。

 しかし本質から見ると、全てはすでに与えられているのです。私たちは悟りという神の義から手に入れることができるのです。

 目の前にあるものは積み重ねられた原因のあらわれ、身口意のあらわれであり、「日々の仕事の中で神の義から得よ」というとらえ方を肯定すれば、私たちは必要なものをすでに与えられていることを知るのです。

 私たちの意識を、肉体、物質、金銭から少しずつ心へと比重を移すことで、神の義が私たちを自然と導くようになるのです。 

 

全ての原因は自分に

 目の前の現象は突然どこかからともなくやってくるものではなく、原因として自分の意思が作り招いているのです。

 運を良くするには、「全ての原因は自分にある」と心の底から思うことです。

 このように意識を正してゆくと、私たちは根源(本質、実相)の世界とつながりやすくなります。――

 

「気づき」こそがあなたの運を変えるのです。

 私たちは日々、結果を見ているとともに、原因となるものを日々積み重ねています。

 原因から手に入れる──原因としての天国からすでに与えられていることを知らねばなりません。

 目の前の現象は全て必然で、自らの学びのためにあると気づき、それを受け入れることで、過去の数々の出来事の意味も変わり、全てが意義あることとして光を放つようになるのです。

 パーソナルヒストリーの書きかえが極めて自然におこなわれてゆき、ご本人の学びが一段と深まってゆきます。それは、宇宙の意思による自然な流れなのです。 

 

 

 

今、気づくことはとても大切です。

それによって、私たちは新たに変わり

進化していくことが出来ます。

 

含蓄の深い言葉が並びますが

最後の方にあった次のたとえ話もまた

とても印象的でした。

 

心の宝箱

 乞う以上の分け前を与えられた物乞いは、誰一人としておりません。私たちが与え主になってこそ、無限の泉が湧き、無限の宝庫が開くのです。

 道ばたで古い木箱の上に腰かけて、通りすがりの人に帽子を差し出して物乞いをする者がおりました。ある時、一人の男が通ったのでいつものように帽子を差し出したところ、「あなたに与えるものは何もない」と言われました。そして、「あなたが座っているその木箱は?」と続けました。

 「何十年にもわたってこの上に座って物乞いをしています」と返答すると、「それでは箱を開けて中を覗いたことはあるのか?」と聞きました。

 「まだ開けたことは一度もありません」と答えると、「だまされたと思って蓋を開けて中を見なさい」と言うので、物乞いが中を覗いてみると、黄金に輝く宝物がぎっしりと詰まっていたそうです。黄金の宝の上に座っていながら、人にモノを乞うていたのです。

 あなたの中には無限の知恵、力、愛があるのです。それを眠らせたままにしているのではないでしょうか。人は無限の知恵、力そして愛の持ち主であるにもかかわらず、「愛をください。もっと愛を」と乞い願っているのではないでしょうか。

 無限の愛という泉は、与えて与えて与え尽くすことで開いてゆきます。必要な時に必要なものがいつでも引き出すことができる愛という宝箱を、あなたは持っているのです。 

 

本格的な修行とともに覚醒し、

世界中で講演をし、特に沖縄で

長く教えを説いてきた上江洲氏の

言葉には思わず背を正したくなるような響きが

あります。 

 

 

 

ちなみに、秋山佳胤さんも駆けつけるという光話会が

毎月開かれているそうで、

YouTubeにアップされていました。

面白いのは、同じ会場で精神科医越智啓子さんも

コラボされたりすることもあるようです。

 


上江洲義秀先生の光話会 (2019年3月20日)

 

我は肉体にあらず、幽体にあらず、(神)霊なり。

霊は命であり、本質であり、全ての根源である。…

私たちは本質を知らず、そして人生の道において

本質であるエネルギーの使い方を知らないから

彷徨い、迷い、分離しているといいます。

想いも言葉も、エネルギーの振動(波動)です。

エネルギーの正しい使い方、そして

全ては一つで本質であると理解できるでしょうか。

 

 

それぞれが自分自身の本質へと"目覚めて"いく時代です☆

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