昨年十一月に出された
医師の矢作直樹先生と
アーティストのはせくらみゆきさんの
対談本です。
明るく暖かいエネルギーが広がる表紙絵は
はせくらみゆきさん。
テーマは、ずばり、今の時代を読み解きながら、霊性を磨いていく方法についてです。
永遠の存在としての「いのち」――私たちの本質が希求しているのは、霊性進化の歩みであり、常に大調和へと向かい、生成発展していこうとする姿です。
和やかなお喋りの中で、内容は多肢に渡っています。たとえば、新型コロナウイルス蔓延の背景から、死生観、介護術、マルチバース論、果てはUFOに至るまで、様々なトピックスを扱っており、さながら、角度によって変わるミラーボールのようです。
しかしながら、そのボールの中心核にあるのは、一貫して、天地と繋がる調和な生き方へのいざないであります。
「生き通し」のいのちの世界を、「逃げず無理せず」(本書のどこかに出てきます)楽しく生きる。
いろいろあるけれど、大丈夫。
いろいろあるからこそ、次がひらける。
これから始まるメタモルフォーシスの時代を、ご一緒に愉しんでまいりましょう。
ここまでは、はせくらさんのはじめにからですが
対談は、3部構成
パート1 メタモルフォーシスを体感する変革の時代
パート2 霊的な世界と、科学や医学が近づいてきている
パート3 神知(かんじ)て、神帰(かんがえ)ることが人たる所以
パート1では、現在のコロナ騒動に関して、
「多くの人が集団催眠にかかっている」状態だと
医師である矢作先生がきちんと語られています。
本当は診断が無効なPCR検査、通常のインフルに比べても恐れるに足らない
コロナの本質、日々テレビなどのオールドメディアにより恐怖を煽られて
洗脳されてしまい、安全性が確認されていないワクチンに誘導されている…
等々、とてもわかりやすく指摘されています。
教育、ダーウィンの進化論などにも話は及び
はせくら そうした壮大な間違いについて疑念を持つような感覚自体が、むしろ重要だと思うんですね。
矢作 何でも鵜呑みにせず、いったん自身で考えてみる、という姿勢が大事ですね。
矢作 今現在、例えば、アメリカやロシアが持っている宇宙船は、心で飛ばすと聞いています。
地球人より進んでいる宇宙人は、心が非常に澄んでいるから自由に飛ばせるようですが、残念ながら、地球人レベルではなかなか操縦が難しいようんですね。
はせくら 自我の振動数によるんですよね。
今おっしゃった、心が澄んでいる、すなわち心の純度というものが、現実の認識と変容を動かしていく、つまりマニュピュレート(操縦)するということに、実は大きく関わっています。
そのことを、私たちはこの令和の時代に、気づく必要があると思うんです。
矢作 例えば、アボリジニの人たちは今でも、普段はテレパシーで会話をしていて、お祭りのときしか言葉を使わないというじゃないですか。
「それはどうしたらできますか?」と西洋人が聞いたとき、
「とっても簡単です。ただし、二つのことだけ、ちゃんと守ってくださいね」と言われたそうです。
一つは、エゴをなくすこと。もう一つは、嘘をつかないことです。
ちなみに、嘘をつかないというのは、縄文人がそうでしたよね。
はせくら 期待大じゃないですか。
矢作 我々の肉体に、何パーセントかでも、そういう素質、つまり縄文人の血が流れているわけですよね。
それがあると確信して思い出すことさえできれば、発動するのではないでしょうか。
パート2では、矢作先生がちょうど南アルプスの登山から戻られた直後で、
その興味深いお話を伺うことから始まります。
矢作氏にとっての山は、感謝行の場だといいます。
はせくら すごいことですよね。一歩一歩、本当に大地と一体にならなければ、歩めないですね。
先生のこの「一歩一歩感謝」ということを、下界でできるコツはないでしょうか?
矢作 一歩一歩とは言わないまでも、例えば歩く道すがらでも、草花がいっぱいあるじゃないですか。あるいは雲、鳥、何でもいいのですが。
そういう身近なものに意識を向けて、「綺麗だな」とか、「有りがたいな」とか、『美しい雲だな」と思う感性を常に持っておくということでしょうか。
はせくら やはり、自然の産物ですものね。
矢作 もちろん、人工物でもいいと思うんですよ。
例えば、神社仏閣など、本当に気持ちを込めて作った人の心根が感じられれば。
話はさらに、言霊、日本語の読み解きへと進みます。
パート3では
矢作 対談の最後に、あらためて新型コロナウイルスを題材にして、皆さんの感覚や思考がどのように歪んでしまうのか、というお話をしましょう。
今、洗脳にかかったり、集団ヒステリーを起こしている方が大勢いらっしゃいますが、その過程をどう解釈するかというお話についてです。
はせくら 今、一番興味深い話ではないでしょうか。
いろんなことがいつの間にか新しい「当たり前」になっていて、「知りえていない」ということにさえ思い至らない、気がついていない、「無知の無知」になっていると思います。
無知の知の謙虚さがない、思考停止。
「自分中心天動説」にある思いの癖、思考の特色。
精度に問題のあるPCR検査で陽性になったからといって
感染者じゃないわけです。今は無症状も対象になり
話が何かすり替えられてしまっていますね。
こういった落とし穴に気づかず、疑問さえ持たなくなってしまうのは
「大衆は、何度も繰り返されると信じてしまう」
数字は思考を停止させる罠
にはまってしまうから
矢作 ところが、新型コロナウイルスの騒動って、考える隙を与えないんです。
疑問を抱く間もなく、詐欺だと気づかずにまた引っかかって、それを繰り返すわけです。騙され続けているのですね。
それはもう、椀子そば状態です。次から次へと有無を言わさずに食べさせられてしまう感じ。
そうすると、洗脳状態になるわけですね。いみじくもヒトラーも言っていました。
「大衆はそれが嘘がどうかに関係なく、何度も繰り返されることを信じてしまう」と。
まさに、そっくりそのままなのが今の状況ですね。
はせくら 戦時中みたいな雰囲気に。
矢作 そう、大本営発表です。
はせくら 何か変だなとは思わないものなんでしょうか?
矢作 繰り返されると、それが当たり前になってしまう。
変だと思わない人が大勢を占めてしまうと、集団ヒステリー状態となるのです。
はせくら 一人の力というとないがしろにされがちですけれども、まずは一人から思わねば始まらないですよね。
一人ひとりが疑問を持ち、本当に良いと思われるものや方法を選択する。自分なりにできるアクションから始めるという、地味だけれどもその積み重ねが、今こそ大事ですね。
はせくら ワクチンのことも、表立っては語りづらい空気ですものね。
矢作 結局、分断、孤立、管理をしようとしている体制側の思惑通りですね。
神を知る、神に還るのにもう一つ重要なのは、第六感ともいいますが、高次元と繋がるということ、つまり、中今だと思うんですね。
一所懸命何かに集中する人は、おそらくこの状態になっている。どんな分野でもそうです。
マスクに関しても、矢作先生は、違和感だらけなのに
マスク信仰になってしまっていると言われます。
無意味なマスクは、子供達の成長にも多大な影響を及ぼします。
大人の責任を追求されないために、子供達を犠牲にしてるんですね。
矢作 では、なぜ洗脳されるかと言うと、基本は、不安からきています。
例えば、きちんとこの世でのお役目を終えて、あちらに帰れるのだったらラッキーというような発想があれば、死に対しての不安などないはずです。
はせくら やはり、死生観に行き着くわけですね。
はせくら 死は切り離された一部ではなく、この第宇宙の自然な営みの循環の中にある様態の一つです。
その大いなる命の輪の中にある自己を思うと、また変わってくると思います。
はせくら 私は、「アース・アセンディング」という言葉を使っているんですが、地球自体の意識が、この宇宙の優良生の仲間入りをしようともがき始めている最中なのです。
当然、そこに住む生命体である私たちも、宇宙の調和の意識へと、物の見方や生き方、すべてのパラダイムシフトを起こさないとついていけないところまできていると思うんです。
その流れにぐっと押されるように、今の現象が起こっていると見ています。
矢作 即物的に、ウイルスがいつ終息するかというような視点ではありませんよね。
はせくら そうですね。役割を終えたら終わるという視点かもしれません。
矢作 結局、これに気づいたら、ウイルスは消えるでしょう。
「やった! 僕たちのお役目は終わった!」と言って、
正確に言うと、気づいた人の振動数が変われば干渉できなくなってしまう。存在できなくなるのですよね。
はせくら 例えば今、我が国では、ワクチン接種は任意接種ですが、家族間や親しい人の中で、意見が割れていて、互いに分かり合えないときはどうしたらいいですか?
矢作 分かります。私にとっては、そこの答えははっきりしています。
家族といえども、基本的には他人なんですね。
はせくら 自己と他者という意味においてですね。
矢作 そうです。宇宙的に見れば本来は一つのものが、個別性を持ってこの世界に生まれてきている理由というのは、いったい何かということです。
魂のレベルで近い遠いというのはあるにせよ、やはり肉体としては別なんです。ということは、別物として扱いなさいということだと思います。
それぞれが個別の生き物なのですから、最後は自由意志で決めるのです。
自分に同調してくれるよう、説得したい家族や友人がいるかもしれないですが、自分の意見とそれをどう受けとるかという他者の意見や行動はまったく別なので、結果は気にするなとしか言いようがないですね。
地球も変化していく、全ては変化していくけれど
”本気になって、今・ここの中今を生き、心の純度を高めていく絶好の機会”
ということでもあるようです。
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